1991年 九州ツーリング
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(鹿児島県 北緯31度線にて) |
■コース:
1日目:静岡の実家−東名自動車道−名神自動車道−中国自動車道−広島市街−ビジネスホテル泊
2日目:広島−国道2号線−関門トンネル−若戸大橋−福岡市街−親切なカタナ氏宅泊
3日目:福岡−唐津(虹の松原)−屋形石の七ッ釜−平戸−民宿「チャペル」泊
4日目:平戸−小佐々町(神崎天主堂)−佐世保−長崎オランダ村−長崎市街観光−ビジネスホテル泊
5日目:長崎−諫早−雲仙温泉−島原(島原城)−有明フェリー−熊本−天草五橋−熊本−旅館「花里」泊
6日目:熊本−天草五橋−上島−下島−天草鹿児島国道フェリー−出水−「栄屋旅館」泊
7日目:出水−えびの高原−霧島スカイライン−国分−垂水−桜島−国民宿舎「さくらじま荘」泊
8日目:桜島−鹿児島−指宿スカイライン−知覧武家屋敷−特攻基地跡−開聞岳−長崎鼻−池田湖−指宿−民宿泊
9日目:指宿−南海郵船フェリー−根占−佐多岬−鹿屋−志布志−都井岬−日南海岸−宮崎−「宮崎第一ビジネスホテル」泊
10日目:宮崎−日向−延岡−高千穂峡谷−天岩戸神社−高森−阿蘇−「阿蘇ユースホステル」泊
11日目:阿蘇−阿蘇登山道路−草千里−やまなみハイウェイ−湯布院−別府温泉泊
12日目:別府−臼杵磨崖仏−風連鍾乳洞−佐伯−延岡−日向−日本カーフェリー
13日目:日本カーフェリー−川崎−東京
■概要:
大学4年の2月、就職も決まりあとは卒業式を待つばかりのこの時期は必然的に卒業旅行に出かけます。
1991年当時の時代背景としては湾岸戦争の余波もあって、海外旅行に行く学生は国内外で批判を浴びたりしている時期でした。
それでもかなりの学生が海外旅行に旅立っていきました。
海外旅行なんか社会人になってからでも行けるし、社会人になったら10日以上のまとまった休みなんかめったに取れないと思ったので、バイト代を九州一周ツーリングに注ぎ込むことにしました。
もっとも、せっかくNINJAを持っているのですから、ロングツーリングに行きたくなるのも当然ですよね。
九州の観光ガイド等を見てみると、大自然ももちろんですが、九州各地に点在する天主堂や名所等の史跡、橋やフェリー等の海上交通手段、それに無数の温泉等々、行ってみたい、見てみたい場所がたくさんあります。
九州の大きさもよくわからないし、日程的に周りきれるものなのかも判断がつきませんでしたが、とにかく走ってみたくなったのです。
細かいことは覚えていないので、多少いいかげんな部分もありますが、この2週間の記録にお付き合いください。
◆1日目
(静岡の実家−東名自動車道−名神自動車道−中国自動車道−広島市街−ビジネスホテル泊)
2月5日(火)
出発前、静岡の実家前にて。(オフクロ撮影) この時点でも、いったい何日のツーリングになるのかは想像もついていません。 だいたい九州ってどのくらいの大きさがあるのかも知らないのです。 予算が尽きるまで、どのくらい走れるのでしょうか? |
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浜名湖のサービスエリアにて。 静岡県富士宮市から南下して、東名自動車道の富士インターチェンジから西へ向かう。とりあえず目指すは大阪あたり。 実は生まれてからこのときまで(22歳当時)大阪より西に行ったことがなかったのだ。 ちょっと寒いけど天気もいいし気分もいい頃です。 |
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!!っと思っていたら雪!! 恐れていたことが現実に! 関が原から先、しばらくは雪でした。 雪が降るとバイクはヨワヨワです。 バイザーは曇るしバイザーを開けても顔に雪が積もるばかりでほとんど視界が確保できません。 本線上では単なる危険障害物でしかないため、ウィンカーを点けて路側帯を30kmくらいで走行するのが精一杯です。 それに「寒い!」ので、S.A、P.Aがあるたびに停まって暖を取ります。 |
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マジかよー。まだ止まないのかよー。 路面に積もるほどの雪ではないため、走行することは可能なのですが、寒さには勝てません。 厳冬のツーリングをするための装備ではないため、とにかく寒いのです。 この先思いやられるなぁ。 結局雪が止んだのは大津S.Aの少し手前でした。 |
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ご覧のとおり広島の原爆ドームです。 あわよくば一日で九州に上陸しようと考えていたのですが、中国自動車道の広島の手前でまたもや雪!! 広島で雪が降るなんて思ってもいなかったので、もうすっかりぐったりしてしまいました。 もう20時を過ぎていたため、今日は広島に泊まります。 原爆ドームの近くのビジネスホテルに宿をとり、夜の原爆ドームを見学しました。 |
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